2012年12月25日火曜日

人工授精によって受胎する

排卵誘発剤でたくさんの排卵を起こさせ卵子を採る沁痛と危険も、そのために支払う金額も時間も、さらに(幸運にも)生まれ出た子どもの身体への不安も、それほどたやすいものではないのに、いつも不妊は不妊、子持ちは了持ち、に財皿いは絶対にわかりあえないと分断される。もっと二分でなく、例えば不奸の娘を持つ親のな場だとか、不妊だけど治療(生殖技術)をしてまで妊娠はのぞまない立場だとか、子持ちでもう子どもは欲しくないのに妊娠しやすく悩み深い立場とか、それに不妊治療医、あるいはそうでない産科医など、いろんな立場の人が集まって、もっと自分の知り得た範囲の情報を交換し合う。そんな場があれば、今のようにみんながそれぞれに際限なく自分の立場以外に見えなくなることもなくなると思うのだが。

この代理母という方法では、さらに三つの重要な問題が浮かび上がる。一つは金持ち女性が貧しい女性の身体の機能を、お金で買うこと。あまりはっきりとは映さなかったが、この番組でも代理母となったアメリカの女性たちの住居は決して豊かなたたずまいではなかった。反対に依頼人たちは、全米でも屈指の資産家揃いであった(番組で登場したある斡旋業者の男性は「韓国やフィリピンの女性を使えばもっと安くなる」と話し、彼の所には、それらの女性の顔写真カタログと電話一本だけがあった)。

金で買われた貧しい女性たちの子宮は、当然ながら大切にされるのは彼女たちの「生産物だけ」である。借金返済のため、代理母として妊娠中、妊娠によって悪化したと考えられる心臓病で亡くなった若い女性の場合、花一輪のねぎらいさえなく、妊娠八ヵ月の依頼人夫婦の「子ども」の遺体も、もちろん引き取られてはいない。

二つ目は、生まれた子どもに何らかの障害があった場合である。その番組の中でも、エイズーウィルスの感染が予想された赤ちゃんの出生について取り上げられていた。その子は無事出生したが、依頼人夫婦からも代理母からも引き取りを拒否され、七ヵ月間施設のベッドにあずけられていたというo結局ヽ代理母のおばが引き取ったがヽ自分たちの力によって誕生した生命の重さを、この人たちはどのように考えているめだろうか。三つ目は、親権の問題。代理母と依頼人双方が親権を主張した場合として、すでに「ベビーM事件」が一九八七年にアメリカで争われた。

この事件の代理母となった女性は第一の方法で、つまり卵子を提供し、人工授精によって受胎し、出産したため、アメリカでも結局のところ明確な法律判断はできないまま依頼人夫婦に軍配があがったが、そこには子ども(卵や精子の状態でも)をお金で売り買いすることがそもそも許されるのだろうか、とか、子どもを実際に出産した身体の持ち主が親と認められていいのではないか、とか、大変難しい問題が含まれている。「Mちゃん」という子どもにとって、一番幸せなのはどういう状態なのだろうか。

2012年9月3日月曜日

生命的感情の層のうごき

うれいの人はこうして生命的感情の層のうごきがとどこおっているために、ものをみても人に向ってもいきいきした感付加わきでない。風物は美しさがなくねむたげで、自分からはなれて遠くへしりぞいてしまった風にみえ、人に対しては愛も憎しみもわかない。

ただわずらわしさだけがある。なにもかもうるおいがなくて死んだように見える。これが彼らの訴える「無感付」である。ところ、か生命的感情の上に位する心情的感情の方は、よどんでうごかぬこの武木感情をたんとかしてひきたたせようとつとめ、景色を美しく思おう、人にもっと活発にはたらきかけよう、さえた新鮮な気分になろう、と自分にいってきかせるのだが、もともと自分が生命的感情に背負われているのだからどうしようもない。「私はなにも感じられなくなってしまった」というなげきは、そうしたどうにもならぬ心情的感情のなげきにほかならない。

しおれた感情

くるしみは渇望があるところに必然的に生まれるもので、感覚的欲望、生命への執着はもとより、自分のいのちを断ちたいという断絶欲も、渇望のうちにかぞえられるものである以上、やはりくるしみのだわとなる。宗教が指図するように、なやみからまぬがれるためには、私どもの欲望をすてなければならぬ。欲望をすてるというより、「すてようとする欲望」さえも消してしまわなければならぬ。こうして空々漠々の境地にはいれれば、文字どおりの無感情の状態となるわけである。

「自分は夢のなかにいるような、水蒸気のなかにいるような『かるい』気持でいることが多い。存在意識がうすい。頭のなかではっきりした結諭もなし、どちらからおしてもつかまえどこがないし、感覚からも思考からも感情からも無にちかくなっている。大地をふまえて立っている感じがしない。無意識のときが一日に何回もある。耳に音はきこえているが、きこえていると気づかず、なんの想念もなく、空虚に時間がたっていく。時間がなかれているという意識もない」。

こうしてよみがえった過去は、苦しい現在とちがって「楽しかった昔」であることもあるが、重芳しい気分にある人に再生した過去は、過去までが重苦しい内容でみたされ、「あやまちつづきの生涯にという色あいをおびている方がふつうである。あのときこんなあやまちさえしなかったら悪いことはさけられたのだが、とくやみながら、一度起ったことはかえられぬという吽の法則をくつがえそうととりくみ、どうしてあのときこうしなかったのかと無益な努力をくりかえしくりかえして疲れてしまう。総じて過去かありありと心に映るようなときは、心がかげって、日のささぬ休み場所をさがしているときである。元来過去はくらい世界なのだから休むのにはいたってふさわしいわけであろう。

こうしたうれいの人は「感情がなくなってしまったとなげく感情をもつ」奇妙な矛盾したありさまをみせることがある。ヤスペルスのことぱでここを表現すれば、「この人々はよろこびも苦痛もひとつも感じられないと訴える。自分の身内の人に向っても少しも愛着がおこらず、何物にも無関心だと感じる。自分は荒涼として、空虚で、むくろで、生きるよろこびが全然ないと感じる。私のなかには何もない、私は氷のかけらみたいにひえて静止してしまった。何もかも氷ってしまったようだと訴える。彼らは自分で感じたこの無感情を途方もなく苦しむ」。矛盾したこのなげきは「感情なさの感じ」とよばれてそのままに記録されているか、なぜこんなこと、かおこるのか、わけは多分こうであろう。

憂鬱状態ではつねに悲哀の情がつきまとうとはいっても、この悲哀の底にはあらゆる感情がよどんだどろりとした力なさか存在する。くりかえしになるが、憂節状態とはとりもなおさず、私どもの心の底でもえている原動力である生命的感情の力がさがることである。生命的感情、がさがれば、私どもの感情はすべて根もとからしおれてしまう。いきいきした、さっぱりした、新鮮な気分。そうした基木感情はなえて、どんよりとくもった、よどんだ、重苦しい心にかわってしまうのである。このところはあの「感情の地層」をもう一度思いだしてみればよい。

2012年8月1日水曜日

アメリカ国民は政府の国民への介入をどう思っているのか

政府の行っている政策は現状のままでちょうど良いという意見は、民主党支持者の三八パーセント、共和党支持者の五〇パーセントに達した。共和党支持者の間では半数近くの者が現状を肯定したが、これは介入反対の一一パーセントと合わせて考える必要がある。

つまり第二次世界大戦後のアメリカでは、政府の介入が大がかりなものになったままであるという現状を踏まえて、共和党支持者は政府の介入をいたしかたのない現状としたが、大部分はこれ以上の介入には反対なのである。

これにたいして、民主党支持者の三八パーセントは、介入の行われている現状を肯定した。もっと介入すべきだとした者も四一パーセントいたから、二つの数字を合計して七九パーセントの者が、政府は現状の介入を維持するか、あるいはもっと介入すべきだと考えていることになる。

逆に政府の介入をもっと減らすべきだと答えたのは、民主党では四パーセントに過ぎない(残りの一七パーセントは「わからない」と回答)。共和党で同じ意見をもったのぱ二割強、つまり二二パーセントであった(やはり一七パーセントがわからないと回答)。 このような両党の考え方の相違を指してよく使われる表現がある。

それは民主党はゴール(到着点、結果、成果、最終的分け前など)の平等をアメリカで実現しようとしているが、共和党はスタートライン(出発点、競争条件、与えられた機会など)の平等を目指しているという。 自由か平等か 民主党と共和党の争いの根底にあるのは、このような方法論の相違であることぱ事実である。

だがそれだけではない。重大な政治上の命題が、方法論をめぐる立場の違いの背後にひかえている。すなわちアメリカの政治は自由を優先するのか、それとも平等を優先するのかという問題である。

共和党のいうように自由を推し進めていった場合、うまく波に乗って成功を収める者には快適な生活が約束されるであろう。アンドリュー・カーネギーやジョン・D・ロックフェラーなどは、競争に勝ち抜いて巨大な富を入手したが、彼らこそは自由な社会が生み出した成功者であった。

しかしその反面において、同じ社会は貧困にあえぐ工場労働者や、都市の腐敗、児童労働や公害などをもたらした。いわば自由社会のなかに、その自由を満喫することのできない社会階層をつくり出したのである。

2012年7月24日火曜日

食料自給率からみえるもの

農水省が2007年度の食料自給率をまとめた。カロリーベースで13年ぶりに上昇し1ポイント高い40%となったが、生産額ベースでは2ポイント下がり66%。パン原料などになる輸入小麦価格の高騰でコメ消費が伸びたのが影響した。カロリーベースでの自給率向上は好ましいことだが、生産額ベースでの低下要因に今の農業が抱える問題点が凝縮されている。
 
カロリーベースでの自給率上昇の要因は、コメ消費の伸びのほか、国産小麦やサトウキビなど砂糖原料、春植えのジャガイモの豊作が寄与した。これに対し、生産額ベースの低下要因はコメや主要野菜の卸値下落に加え、畜産物生産に必要な輸入飼料の高騰に伴い、畜産物の計算上の自給率が下がったためだ。

コメや野菜の卸値下落はいずれも需給緩和要因に負うところが大きい。コメは農水省が需給調整への直接関与をやめて減反が進まなかったのに豊作が重なった。輸入小麦の高騰がなければ消費減退が進み、年明け後の卸値の反発も弱かっただろう。野菜も前の年が天候不順で高騰した反動もあるが、内需減少が進んだのが影響した。

農産物、とりわけ野菜は作柄が天候の影響を受けやすく、需給調整が難しい。今年もコメ、野菜ともに農水省や生産者団体が需給調整策を練ってはいるが、まず主食と位置づけているコメの需給調整ありきで、野菜などの需給調整は二の次という空気が強い。

野菜や果物、花や畜産物は「コメの需給調整の方便」という姿勢が全国農業協同組合連合会(全農)の08年度事業計画の「基本方向」などににじみ出ている。

農水省は輸入飼料価格の高騰をみて、07年度末の補正予算から飼料用米の本格的な増産推進に乗り出したが、これとて昨秋の主食米産地価格の急落などを契機にした、主食米の需給調整対策の色彩が強い。一部の鶏卵・豚肉生産者からは内外価格差があっても品質向上が見込めるため、もっと欲しいという声もある。

今年に入りコメ国際相場の急騰など市場環境も様変わりしているが、コメ卸値急落を受けた場当たり的な対策ではなく、長期的視野に立った飼料米振興策を求める声が多い。そうでなければ自給率向上も一時的な現象になりかねない。

2012年7月5日木曜日

全国一斉休漁、水産物の販売不振に影響か

全国漁業協同組合連合会(全漁連)などが実施し、約20万隻の漁船が参加した7月15日の全国一斉休漁の時期を境にして水産物の販売が振るわない。東京・築地市場の卸会社7社の7月の取扱金額は、438億9700万円で、前年同月比0.8%増。微増ではあるが、営業日が前年より2日間多かったため、実質的にはかなりのマイナスになった。

「月の半ばまでは前年を上回ったが、後半に急失速した」(卸会社)。一方、首都圏の中堅スーパーでは7月の水産物販売が前年比で約5%下回ったという。土用の丑の日のウナギ商戦の落ち込みが偽装問題の逆風下でも大きくなかった割には、落ち込み幅が大きい。小麦高騰によってコメ消費の回復傾向がみられ、おかずとして適している魚が見直されてもいいはずだが、ほとんど動きは見られない。

全国一斉休漁と販売不振を結びつける直接の関係性は見あたらない。今年の酷暑が大きな原因とする見方もある。しかし、多くの市場関係者は、「休漁が確実にマイナスに働いた」と説明する。要因としてあげているのが、魚の価格が高いというイメージが消費者の間に広がったことだ。燃料費や資源の悪化を受けて魚価が上昇傾向にあるのは事実。ただ、小売り段階への波及は一部にとどまっている。冷凍マグロの卸売価格の値上がりなどがニュースとして取り上げられたことで、消費者が実体以上に敏感に反応したという意見だ。

もうひとつの見方が、一斉休漁をしても翌日のスーパーなどの売り場にほとんど影響がなかったことだ。卸売会社や小売店が、消費者に混乱を起こさないように事前に在庫を確保することなどで対応した結果だが、築地の卸幹部は「小売店では、これまでも産地で水揚げされた新鮮な魚がすぐに供給されていなかったと、不信感を感じた消費者が多かったのでは」と指摘する。水産物はもともと相場をにらみながら産地が出荷を控えることも多い。また消費地でも売れ残った商品はいったん冷蔵庫に保管する。最近では冷蔵施設の発達で大型の台風接近時などにも十分対応できるようになっているが、消費者がそうした点を知っているわけではない。

一斉休漁に踏み切った漁業者に対して、多くの消費者は理解を示した。しかし、それが「魚をたくさん買って支援する」という実際の購買活動に結びつくわけではない。物価の上昇や賃金の減少など、生活を取り巻く環境が悪化するなか、生活防衛色は一段と高まっている。そんな状況下で、今回の休漁問題を通じて広く知られることになったのが、産地市場や消費地市場が併存する複雑な流通体系や、小売店が得る利益率の大きさやロス率の高さだ。漁業者の手取りはおおむね小売価格の2割台にとどまっている。流通にたずさわる事業者自らが、非効率な部分や利益配分のあり方について議論を高めることがなければ、漁業や水産物全般への関心の高まりとは対照的に、消費者の魚離れが進みかねない。

2012年6月21日木曜日

DRAM市況、上昇基調に早くも息切れ

代表的な半導体メモリーであるパソコン用DRAM。上昇基調をたどっていた相場が早くも「息切れ」している。大口価格は月2回の交渉が一般的だが、7月後半・8月前半と2期連続で値下げ決着した。8月後半分も一段安で決まる公算が大きい。

パソコン用DRAM価格は昨年1年間で約85%値下がりした。米マイクロソフトの新基本ソフト(OS)「ウィンドウズ・ビスタ」需要を当て込み、メーカー各社が増産に走ったものの、需要が予想ほど伸びず供給過剰に陥ったためだ。このため昨年後半から半導体各社は軒並み赤字に陥った。危機感を抱いた複数メーカーが年初に減産を実施。その効果が表れ、4月後半以降は上昇基調をたどってきた。メーカーの採算ラインは1ギガ(ギガは10億)バイトのモジュール(複合部品)で1個24ドル、単品を表す1ギガビットでは2.7ドルといわれているが、7月前半時点でモジュールは22.5ドル、単品で2.5ドルと採算ラインの一歩手前まできていた。ここにきての下落で一転して採算ラインは遠のいている。

パソコンの需要は堅調だ。世界的には前年比2ケタの伸びが続いている。米国や日本では1ケタにとどまるが、ロシアや東欧、中南米など新興経済国の伸びがそれを打ち消している。ただ、ここにきて欧州や中国では減速感が台頭してきた。欧州では一部パソコンメーカーの在庫が積み上がってきたほか、中国でも一時期の勢いは影を潜めている。パソコンメーカーも先行きの生産計画に慎重になっており、これまで値上げを受け入れてきた反動もあって、値上げへの抵抗を強めている。

9月から10月にかけては欧米のクリスマス商戦向け調達がピークを迎えるが、最近では「例年ほど盛り上がらないのではないか」(パソコンメーカー)との見方が強まっている。原油高騰は一段落したものの世界的な景気の先行き不透明感が強く、個人消費にも影響が出るとの「不安ムード」が広がっているためだ。

上位メーカーは微細化技術を進めており、順調にいけば年後半には歩留まりの向上が見込まれる。微細化は生産コストの引き下げにもつながるが、同時に供給圧力も強まることになる。現時点でも供給過剰感が強いだけに、需要次第では一段の下げにつながりかねず、業界再編が一気に加速する可能性は十分ある。

2012年6月14日木曜日

葬儀のスタイルに変化、価格体系にも波及

ここ5年間で、消費者の葬儀に対する考え方が、大きく変わった。都内に本社を置く有力葬儀社の営業担当者は、葬儀を取り巻く環境が最近、激変していると打ち明ける。高齢化の進展で、今後30年間ほどは死亡者が増え続けるとの予測もあり、葬祭業の市場は拡大する見込み。ただ、葬儀のスタイルは、変わり始めている。

「病院に紹介された葬儀社に依頼したら、担当者と打ち合わせた予算を大きく上回った」という経験をする人は、多いようだ。消費者が葬儀をあげる回数は限られているし、結婚式と違って情報も少ない。消費者が適切な価格を判断するのは、もともと難しい。

モアライフ(東京・中央)の石井克昌社長は、営業担当者の報酬体系に原因があると説明する。一般的な葬儀社では、営業担当者の報酬は、基本料金から棺や祭壇、霊きゅう車などの格上げで、どれだけ追加料金を上乗せできたかで決まる場合が多いという。「人並みの葬儀」を目指すうちに、費用が予想外に膨らむ原因になる。寺院には読経などの機会を紹介する見返りに、消費者が僧侶に支払う法要料の一部を葬儀社が受け取る慣行も残るという。

葬儀料金が高くなる原因には、伝統的な葬儀社の営業コストが高いという事情もあるようだ。石井社長によると、葬儀社が案件を獲得するための伝統的な営業ルートが3つある。

ひとつは、病死者の紹介が期待できる病院。ふたつめは、事故死や急死の情報が集まる警察。3
つめは、町内会長など地域コミュニティーの有力者だ。葬儀社は、他社に先駆けて情報を得るために、それぞれのルートで契約料や交際費など多額の費用をかけているという。

ただ、こうした伝統的な営業スタイルの葬儀社は、少しずつ減少している。代わって、価格体系やサービス内容、営業姿勢を刷新した葬儀社が、支持を集めるようになってきた。

モアライフでは、多額の費用がかかっていた病院営業を廃止し、インターネットで直接、消費者に葬儀サービスを訴えている。公営の斎場を利用することで、設備投資を抑制する工夫もあり、会葬者30人で、従来は150万円以上かかっていた通夜・告別式の総費用を90万円程度に抑えている。

ネット経由では、「親が余命半年と宣告されたので、葬儀の準備を始めたい」という相談が、数多く持ち込まれる。「昔は『親が死んでもいないのに、葬儀屋に相談するのは不謹慎』という価値観が支配的だった」(石井社長)。けれども最近は、事前に価格やサービス内容を確認しておいたほうが、安心して葬儀をあげられるという考え方の消費者が増えているそうだ。

自分の葬儀を自分で準備する消費者も増えている。メモリアルアートの大野屋(東京・豊島)では、葬儀を“生前予約”するサービスに力を入れている。本人や家族の希望に沿った葬儀内容を予約しておくのだ。
無料の相談窓口を持つ同社には、すでに4000件近い生前予約がある。夫婦で相談に訪れて、夫人が「こういう葬儀で見送って欲しい」と要望するケースが8割を占めるという。

例えば、美術館のような同社の斎場を借り切って、一流の懐石料理を食べながら、ゆっくり時間をかけて故人とお別れする葬儀を準備する人もいる。予算は300万―500万円になるが、事前に見積もりを入手できれば、資金計画も立てやすい。利用者が納得したサービスは、割高でも支持されるという。

葬儀の平均単価を経済産業省の特定サービス産業動態統計調査を基に算出すると、2006年は平均152万円だったが、07年には151万円となり、08年は6月までの半年間の平均で148万円と、少しずつ下がっている。

葬儀では、よりシンプルな手続きと、個性的な内容が求められているようだ。そして、余分な支出は排除して、納得できるサービスには積極的に支出する消費態度が、次第に強まっているようだ。

2012年6月11日月曜日

相談する相手を間違えると大変な事になる事を肝に銘じよう。

島田紳助氏の突然の芸能界引退劇について多くの方が関心を持っておられることはいいことだと思う。反社会的勢力との付き合い方はどうあるべきか、島田氏はどこで間違えたのか、などのことを学ぶいい機会にしたいものだと思う。

私は昨日のブログで島田氏の出処進退の潔さを評価したが、今朝のテレビ局は芸能界を引退した島田氏にわざわざ追い討ちをかけるような真似は、止めるべきである。

些細な記憶違いや失念程度のことを嘘を吐いたなどと囃し立てるものではない。島田氏は所属事務所からマネージメント契約を打ち切られるような状況になったので、自分の判断の誤りを認めて潔く芸能界引退を決めたのである。「セーフだと思っていたら、アウトだった。」という島田氏のコメントにすべてが現れている。普通の芸能人がこの程度の付き合いだったら問題にならないはず、と思い込んできたことが、実は大問題で許されないことだった、という驚きがこの言葉の中に含まれている。大丈夫、と言ってきたことが実は大丈夫ではなかったということだ。

所属事務所の弁護士らが何ヶ月もかけて事実調査を進めていたことが分かってきた。その上での結論が、マネジメント契約解除である。当初はセーフだと思っていたことが第三者からアウトと判定されたということが分かる。

私のブログの読者の方から、島田氏が自分の抱えている解決できないトラブルを暴力団に解決してもらわざるを得なかったことに問題の根本がある、島田氏の今回の事件は暴力団のいい宣伝材料になるのではないか、というコメントが寄せられた。

そういう風にこの一件を捉える人がいる、ということが大問題である。そういう風に間違った方向に考えを進める人が外にもおられるかも知れないで、この一文を書いておく。

相談する相手を間違えると大変なことになることがある、ということだ。島田氏には当時適当な相談相手がいなかったのかも知れない。自分が本当に困ったときに、本当に適切な助言が出来る人が傍にいなかったということだ。日ごろから気心の知れている仲間には何でも相談するが、その仲間の人が間違った解決方法しか知らない人だったら、結局間違った解決方法を選んでしまう。

元ボクシングの世界チャンピオンだった相談相手は、暴力団との親和性が高かったようだ。当時自らが暴力団の構成員になっていたかどうかは分からないが、右翼と称される相手との揉め事の解決を暴力団の幹部に頼んでしまう。

暴力団と付き合うな、暴力団の暴力に屈するな、とよく言われるが、もう一つ大事なことがある。暴力団を利用するな、ということだ。

暴力団を利用した人は最後は暴力団にしゃぶり尽くされる、というのが私のこれまでの弁護士生活から得た一つの知見である。暴力団を利用して自分の恥部を暴力団に握られた人は、じわじわと暴力団の食い物になっていく。

財産も地位も名誉もない人にはこういうことは関係ないことが多いが、暴力団を利用しようとする人は大体が財産や地位や名誉を何としても守りたい人。つい暴力団を利用して陥穽に嵌ってしまう。

それでは、どうすればよかったのか。この点についての解がないと、多くの人は間違った解決に走ってしまうだろう。私は弁護士になってまもなく東京弁護士会の法律扶助委員会や民事介入暴力対策委員会の副委員長などを務め、弁護士会の中ではこの種の事件に取り組んできたハシリの弁護士の一人だが、民事介入暴力と戦うことを厭わない強い弁護士に相談することである。

相手が右翼だろうが暴力団だろうが、不法な威嚇攻撃を繰り返す相手は法廷に引き出すに限る。まずは、相手の街宣活動を停止させる仮処分をかけることである。仮処分命令が出されると警察の取締りが容易になる。法廷に引き出されることになると、相手がどんな非合法集団、反社会的集団であっても弁護士を依頼せざるを得なくなる。

相手方に節度ある行動をさせるために、あえて相手が弁護士をつけざるを得なくなるような状況を作る、というのがこの種の事件の最上の対処方法である。

こういうことが分かっている人は少ない。分からないで闇夜でワイワイ騒ぎ、結果的に道を踏み外してしまう。島田事件は是非、そういう目で見ていただきたい。同じような間違いをしないように、是非多くの教訓をこの事件から学んでいただきたい。

私のこの話は聞いて損はない。政治家は嘘を吐くが、弁護士は嘘を吐かない・・。まあ、必ずしもそうとばかりは言えないが。

2012年5月28日月曜日

野菜卸値の低迷、家計引き締めが影響?

今夏、野菜の卸値は安値が続いた。7月下旬の入荷増がきっかけだったが、その後入荷量が前年並みに落ち着いても卸値は上がりにくかった。商品全体の値上げが相次ぐ中で消費者がまず野菜から支出を引き締めているのでは、との声もあがり始めている。

東京都中央卸売市場での野菜全体の平均卸値は7月中旬まで高かった。流れが変わったのが7月20日前後。4―5月の多雨の影響で生育が遅れた関東産と、7月上旬から続いていた猛暑で生育が早まった東北産の入荷が重なった。

野菜の平均卸値は7月上旬に1キロ229円だったが、下旬には1キロ180円。前年より8%入荷量が多く、上旬と比べて卸値は2割以上も下落した。卸値は8月に入っても上昇しなかった。8月上旬は1キロ190円、中旬は200円で卸値は前年を1割下回る水準で低空飛行を続けた。卸売会社や各JAが首をかしげるのは入荷量の増加と比べて卸値の下げ幅が大きいことだ。8月上旬は入荷量が前年より8%少なかったが、卸値は12%も安かった。

安値の原因が消費の落ち込みにあると農水省や全国農業協同組合(全農)、卸会社は声をそろえる。「7月からの猛暑で食欲が落ち込んだ」「相次ぐ食品値上げの影響で財布のヒモが堅くなった」「ガソリン値上げの影響で消費者が郊外の大型量販店に足を運ばなくなった」などの声が聞かれた。ただいずれの説明も決定力に欠ける。スーパーのバイヤーは「安売りしても野菜が売れない」と嘆く。「ほかの食品の値上がりで野菜にしわ寄せがきているのでは」との見方も出ている。

8月後半に気温が急激に下がった後も安値は続き、キャベツは9月に入り産地廃棄が決まった。キュウリやトマトなどの果菜類を中心に8月の低温のダメージを受け、9月下旬には入荷が減るとみられる。このため「9月下旬からは卸値が上昇する」(東京・大田市場の卸会社)との声は多い。ただ、今後も様々な食品値上げは続き、消費の低迷も長引きそう。入荷量の減少しても卸値に反映されない可能性もある。

2012年5月24日木曜日

資源高受け、商習慣変更に動く建設業界

鋼材が大幅値上がりするなど資材高騰が建設業界全体に重くのしかかっている。今春、激しい販売競争で値上がりしないと言われたセメントも大幅に上昇した。

こうした現状を受けて、国土交通省は6月に「単品スライド条項」の発動を決めた。国が発注する公共工事で鋼材などの資材価格が見積もり段階よりも大幅に上昇した場合、建設業者が工事代金にコスト上昇分の一部を上乗せできる仕組みだ。だが「単品スライドの実質的な効果は薄い」とゼネコンの資材担当者は漏らす。

単品スライドは、資材の値上がり分が総工事費に占める割合が1%を超えた場合に、超えた分を国が補てんする制度。仮に総工費100億円のプロジェクトならば、資材の値上がり分だけで1億円を超えた分のみが適用範囲になる。このため単品スライドを適用しても「実際に補助の対象となる金額は少なく、ゼネコンの負担は軽減されない」という見方が大半を占める。

それでもゼネコンが単品スライドを歓迎するのは、公共工事価格に資材高を転嫁することを国が認めたことで、「民間工事でも施主に価格転嫁を求める道が開けた」ためだ。これまで民間工事は公共工事以上に施主への価格転嫁は難しいと考えられてきた。だが今年9月、大手ゼネコン各社は着工済み物件への原燃料高転嫁を求めて施主と交渉を開始した。

一方、鋼材や生コンクリートなどの建設資材メーカーも、契約期間の短縮など、変動するコストを迅速に価格に反映するための仕組み作りに動き始めている。止まらない資源高を受けて、従来の商習慣を変更しようとする動きが建設業界全体に広がっている。

2012年5月23日水曜日

揺らぐ「物価の優等生」

価格の低位安定から「物価の優等生」と言われた鶏卵にも、ついに物価上昇の波が押し寄せた。JA全農たまご(東京・新宿)など鶏卵大手はブランド卵の価格を1日から1パック(10個)あたり30円程度価格を引き上げた。一般卵も需要の落ちる夏場にもかかわらず異例の高値で推移している。

JA全農たまごの「しんたまご」などブランド卵は栄養価が高いなど高付加価値が売りもの。市場シェアは全国で3割強、都市部では5割を超すとみられる。しかし価格は小売りとの年間契約が多く、価格上昇が目立つ一般卵より安くなる「逆転現象」も目立っていた。

卵には需要変化と生産者の増減産に伴う3―5年周期の価格変動と、年間の需給変動による「エッグサイクル」がある。一般に夏場は需要が落ち、1年を通じて最も価格が安い時期だ。しかし今年は一般卵の全農卸値が7月31日も1キロ195円(Mサイズ=1個の平均重量が61グラム)と前年同月平均を50円も上回った。

丸紅エッグ(東京・中央)の島田博社長によるとトウモロコシなど穀物価格の高騰が波及してブロイラーの飼料コストは過去2年で1キロ60円程度上昇している。さらに低迷した需要も年初の中国製冷凍ギョーザの中毒事件をきっかけに、弁当の総菜を冷凍食品から卵焼きに切り替える家庭などが増え、前年を上回っている。

鶏卵が物価の優等生と言われたのは大規模化などによる生産効率の向上と、90年代までの1990年代までの飼料価格の低位安定という2つの要素に支えられた側面が大きい。現在、2番目の要素=飼料コストは価格の押し上げ要因に変わった。

全農Mサイズの最高値は第2次石油危機時の1981年12月23日に記録した434円。同年は年間平均も342円を記録した。島田社長は「需要が伸びていた70年代と少子高齢化が深刻な現在は違うが、飼料価格の上昇が続けば300円台乗せはあり得る」と予想する。

2012年5月21日月曜日

東京大学が『Twitter』の書き込みに対して異例の注意喚起

2011年7月21日、東京大学は学生に対して『Twitter』の書き込みに関する注意喚起を告知しました。その告知は東京大学の公式インターネットサイトに掲載されており、「各自で慎重に考えて責任を持って行動していただくよう注意喚起します」と書かれています。

この注意喚起は、東京大学の教育学部学生と教育学研究科学生に対して出されたコメントです。このような注意喚起は非常に稀で、今回のコメント発表に至ったのは同校の学生が「飲酒運転なう!」と『Twitter』に書き込みしたからではないかと推測されています。

「Twitter等への書き込みについて 注意喚起」

先日、教育学部の学生が、Twitterに安易な気持ちで反社会的な行為をしているという書き込みをしたところ、当該学生が所属するサークルのホームページから個人情報が流出して公開されたり、大学に問い合わせが来るといった事態が発生しました。このようなTwitter等への書き込みやネット上での安易な書き込みは、各自で慎重に考えて責任を持って行動していただくよう注意喚起します。これらのことを踏まえ、Twitter等での個人情報が流出するだけでなく、友人や家族その他関係する周りの人々にも多大な迷惑を及ぼす可能性があります。
※東京大学公式サイトより引用掲載(現在は削除)

この注意喚起に対してインターネット掲示板のユーザーらは「最近の学生はこういうことも言われないとわからないんだよな」、「東大って案外レベル低いんじゃね? モラル的な意味で」と意見を書き込みしています。かなり厳しい声が多いようですが、飲酒運転をしたと『Twitter』に書き込みしたのであれば批判されても仕方がないかもしれませんね。

2012年4月9日月曜日

9月のビデオカメラ販売台数30%増

市場調査会社「ジーエフケーマーケティングサービスジャパン」(東京都中野区)は、9月のビデオカメラ市場販売動向をまとめた。

それによると、販売台数は前年同月比30%増となり、過去1年間で最大の伸びとなった。同社は好調の要因について、(1)基本性能が向上している一方で価格が低下し、買い替え需要が進んだ(2)薄型テレビの普及で、再生時の高画質を求めるユーザーが増えた-などと分析。これに運動会や秋の行楽シーズンを迎えたことで、売れ行きに拍車がかかったとしている。

同社によると、性能面ではSD画質(標準画質)からHD画質(ハイビジョン画質)への移行や望遠機能の強化などが進んだ一方で、平均価格は昨年9月に比べ、約1万7千円値下がりしているという。売れ筋は「記録媒体がメモリーカードと内蔵メモリーの併用方式・本体重量300グラム以下」のビデオカメラで、販売数の6割を占めた。同社が全国の家電量販店約4千店などの販売データを基に集計した。