2016年1月11日月曜日

「証券化悪玉論」

そうしたことが、米国での住宅バブルの崩壊後に判明したために、投資家による格付に対する信認が崩壊することになる。すると、ほとんどの投資家は複雑な内容の証券化商品の品質を自分では評価することができないために、わが国で起こった「毒入り冷凍鮫子の事件」のときと同じで、もしかすると毒が入っているのではないかという疑心暗鬼から、すべての冷凍鮫子(証券化商品)が買い控えられるようになってしまった。

そうなると、すでに証券化商品に投資しているヘッジファンドや投資専門会社は、保有している証券化商品を売却することもできなくなり、そうした先に資金を提供していた投資家は、それらの経営不振を懸念して一斉に解約を求めたり、継続的な資金提供に応じなくなったりするという取り付けに相当するような状況が起こることになった。こうして、住宅バブルの崩壊は、全面的な金融危機にまで拡大していくことになってしまった。

こうした事態に直面して、わが国では「証券化」そのものに問題があるかのような論調(すなわち、「証券化悪玉論」)がときたまみられる。しかし、そうしたとらえ方は正しくない。証券化け、自動車に例えることができる。すなわち、証券化は、自動車がそうであるように、基本的にわれわれの活動の可能性を広げ、生活を快適なものにしてくれる道具である。もちろん自動車事故が起きて、尊い人命が失われることもある。しかし、だからといって、「自動車悪玉論」のような議論がされることはほとんどない。

自動車事故の原因が車の欠陥にあった場合には、速やかにその改善がなされねばならない。ドライバーの無謀な運転が事故の原因となることも多い。そうであれば、無謀な運転を抑止するために道路法規を整え、罰則を強化する必要がある。また、信号や道路標識を十分に設けるなどのインフラ整備も欠かせない。

証券化についても同様であって、商品設計に欠陥があったのなら、速やかに是正しなければならない。証券化商品の組成者や投資家が無謀な行動をとっていたのであれば、それらの者たちを規律づけるために、規制監督のあり方を見直し、その実効性を高めることが必要である。また、格付などの資本市場に関わる情報インフラの点検と整備も不可欠である。わたしは、こうした取り組みを推進することによって、証券化か本来もつ光の側面を伸ばし、その影の側面を抑制することが可能であると考える。