2012年8月1日水曜日

アメリカ国民は政府の国民への介入をどう思っているのか

政府の行っている政策は現状のままでちょうど良いという意見は、民主党支持者の三八パーセント、共和党支持者の五〇パーセントに達した。共和党支持者の間では半数近くの者が現状を肯定したが、これは介入反対の一一パーセントと合わせて考える必要がある。

つまり第二次世界大戦後のアメリカでは、政府の介入が大がかりなものになったままであるという現状を踏まえて、共和党支持者は政府の介入をいたしかたのない現状としたが、大部分はこれ以上の介入には反対なのである。

これにたいして、民主党支持者の三八パーセントは、介入の行われている現状を肯定した。もっと介入すべきだとした者も四一パーセントいたから、二つの数字を合計して七九パーセントの者が、政府は現状の介入を維持するか、あるいはもっと介入すべきだと考えていることになる。

逆に政府の介入をもっと減らすべきだと答えたのは、民主党では四パーセントに過ぎない(残りの一七パーセントは「わからない」と回答)。共和党で同じ意見をもったのぱ二割強、つまり二二パーセントであった(やはり一七パーセントがわからないと回答)。 このような両党の考え方の相違を指してよく使われる表現がある。

それは民主党はゴール(到着点、結果、成果、最終的分け前など)の平等をアメリカで実現しようとしているが、共和党はスタートライン(出発点、競争条件、与えられた機会など)の平等を目指しているという。 自由か平等か 民主党と共和党の争いの根底にあるのは、このような方法論の相違であることぱ事実である。

だがそれだけではない。重大な政治上の命題が、方法論をめぐる立場の違いの背後にひかえている。すなわちアメリカの政治は自由を優先するのか、それとも平等を優先するのかという問題である。

共和党のいうように自由を推し進めていった場合、うまく波に乗って成功を収める者には快適な生活が約束されるであろう。アンドリュー・カーネギーやジョン・D・ロックフェラーなどは、競争に勝ち抜いて巨大な富を入手したが、彼らこそは自由な社会が生み出した成功者であった。

しかしその反面において、同じ社会は貧困にあえぐ工場労働者や、都市の腐敗、児童労働や公害などをもたらした。いわば自由社会のなかに、その自由を満喫することのできない社会階層をつくり出したのである。