2015年9月8日火曜日

アジアの工業化は製造業の輸出産業による

表に示すのは、金・外貨準備高である。これをみると、一九九二年以降、台湾の外貨準備高が米国を抜いていることがわかる。小さな島にすぎない台湾が所有している外貨が、大陸にある大国、米国より多いというのは、常識的なイメージにはそぐわない。しかし、これが現実である。表の数字は、アジアNIESの経済発展パターンを象徴的に示している。

それは、輸出産業の成長によって経済が発展したという事実である。台湾がパソコンの生産で世界一だと述べたが、それは台湾の国内需要向けの生産ではなく、輸出用だ。その結果が、外貨準備高におげる驚くべき数字となって現われているのである。韓国の鉄鋼、自動車、造船産業なども、輸出産業だ。NIESの経済発展は、製造業の輸出産業の賜物なのである。いうまでもなく、これは、日本と同じ発展パターンである。

アセアンと中国も、八〇年代から九〇年代にかけて、経済的停滞から脱却し、工業化へのテイクオフに成功した。「アセアン」(ASEAN)とは、「東南アジア諸国連合」であり、ここでは加盟国のうち、とくにタイ、マレーシア、インドネシアを指す。ここで注目すべきことは、これら諸国の工業化も、NIESと同じパターンのものであることだ。つまり、輸出中心の製造業の大量生産分野の発展によって経済成長を実現しているのである。したがって、アジア諸国は、すべて日本の工業化と同じパターンをたどっていることになる。製造業の大量生産分野の輸出産業による経済発展というのは、日本のお家芸だったものだ。それと同じ経済活動を、この一〇年ほどの間に、アジア諸国ができるようになったのである。

では、日本と同じ経済発展のパターンが、なぜアジア諸国に波及したのだろうか?アセアンや中国の工業化の原因は、日本にある。つまり、八〇年代の後半に円高が急伸したとき、それに対応するために、日本企業が生産拠点を東南アジアに移したためだ(日本以外の国からも投資が行なわれた)。この基本的なメカニズムは、つぎのようなものだ。ある国が輸出を伸ばすと、その国の通貨が強くなる。これはドル表示での賃金の上昇を意味するから、輸出産業の国際競争力が低下する。そこで、生産活動が労働力の豊富な地域に移るのである。        

これは、経済的にみると、合理的なメカニズムだ。だから、こうした動きが生じるのは、当然のことである。むしろ、「なぜそれが八〇年代になるまで生じなかったか」ということのほうが不思議だ。その理由は、人為的な制約かあったからである。まず、一九六〇年代までは、為替レートが固定相場制であった。したがって、いかに輸出が増えても、それによって為替レートが変わるということはなかった。高度成長期における日本の製造業は、固定為替レートによって保護されていたのである。