2014年12月9日火曜日

多発する労災・職業病

それと前後して、堤工場から高岡工場に応援にでていた労働者が寮で睡眠薬自殺を遂げた。遅刻した彼は「みんなに迷惑をかけたのだから謝れ」と班長に松められ、意気消沈していたとい本社施設部の班長が山のなかで首をくくったのもこのころである。QCリーダーがサークルでの発表の準備に手間取り、クルマに排気ガスをひきこんだ例もある。高岡工場寮で発見された自殺者の死体は保安課員が片付けた。パチンコ屋で、台の前に坐っていてもガラスに自殺者の顔が浮かびあかってしようがない、とその保安課貝がこぼしていたとの話も伝わっている。その夜集まった労働者たちはそんなことをつぎつぎに話しだした。障害者と自殺者についての噂は、これまでもなんどかきかされていた。しかし、その数が急速にふえていることが、わたしを暗然とさせた。

民間大企業で労災・職業病が多発し、それが私病として扱われるのはさいきんでは珍しいものではない。トヨタの場合は地域が閉鎖的であるためか、あるいはその生産第一主義の思想が末端職制をすっかり冒してしまったためか、患者への対応の仕方はまた格別である。会社側が認めた公傷だけでも、一九七九年一~九月までで二六七件、そのうち経験年数一年未満が一〇二件、三ヵ月未満のもので七一件となっている(「安全衛生ニュース」一九七九年ご一月二四日)。それらは応援者、作業内容変更者、新入者、異動者、実習生などである。

作業のスピードはすでに完成され、それに適応できない新人はハネとばされて傷つく。そのことをこの数字が示している。そして、生産のスピードアップは労働者に無理な姿勢を強いることとなり、多くの腰痛、頚肩腕症候群患者を産みだしている。ただそれを会社側が業務に起因する職業病として認定しないだけである。Aさんは、海上自衛隊の給食班に五年ほど勤務したあと、社員食堂などではたらき、七四年九月、三六歳の中途採用者として入社した。高岡工場に配属され、車軸に「ショックアブソーバー」を取りつける作業に八ヵ月ほど従事して「頚肩腕症候群」になった。

市内の医者に三週間の安静治療を命じられた。それでも休むこともできず、職制の命令で作業後クルマに乗せられて通院し、ついに動けなくなってしまった。「急性硬直椎項筋痛」という病名である。軽作業につけてはしい、と職制に要望したのだが、返ってきた返事は「会社には軽作業などない。完全に治ってから出てこい。それとも軽作業をさせてくれるところへいけ」というものだった。

医者があいだにはいって、ようやくまわされたのが「号試場」である。フェンダカバーをつくる手伝い仕事を与えられた。「号試場」には病弱者だけが集められていた。ここは、正式には存在していない職場だったという。会社幹部がまわってくると逃げたり隠れたりする。職場での忘年会も新年会もない。社内報もまわってこない。いわば流人の島である。その後、Aさんはクーラー取りつけ、蟻装ラインなどにまわされ、「腰部挫傷」、「椎間板ヘルニア」、「筋緊張完進症」などの症状をえる。