2013年8月28日水曜日

街づくりは引き算

惜しむらくは、沖縄戦でことごとく破壊されたために、現在の首里には「京より美しい」と言われた面影は、ごく一部にしか残されていない。たとえば一六世紀中頃、沖縄南部に通じる道路として琉球石灰岩を敷きつめた「首里金城町石畳道路」がそうだ。わずか三〇〇メートルほどだが、道の両側には古い石垣や赤瓦の家並みが続く。こんな美しい風景に電柱が立っているのは興ざめだが、それでも十分に見ごたえがある。かつて、こうした苔むす石畳の道が首里の町を縦横に走っていたことを想像しながら、私は「琉球国」にタイムスリップした気分を味わっていた。それなら、日本一美しいと言われるような町並みを、返還された土地につくればいいではないか。新しい町は時間の経過とともに利子をたくわえて島の財産になるはずだと考えたのは、おもろまちが返還されて数年後のことだった。

美しいと言われる都市には共通するものがある。それは水辺があることである。都市における「水辺の美学」とは、自然と人工の織りなす美しさである。私は地図でしか見たことがなかったが、幸いにして返還された土地には米軍も手をつけなかった沼地があり、渡り鳥の飛来地になっていた。確認したわけではないが、沖縄で最大級と言われていたそうである。これを利用しない手はない。さらに幹線道路を別にすれば、道路は狭くて曲がりくねっていてもいい。むしろ車のスピードを落とさせることで、人間との共存がはかられる。その分、路面電車やバスなどを充実させればいい。

町並みには色彩も大事だ。沖縄のアイデンティティを主張するには、ベンガラに似た赤瓦の紅がいい。そのうえで琉球石灰岩など自然素材を多用して沖縄の風土と一体化させる。観光客は「おもろまち」に泊まり、昼はこの美しい町並みや湖沼を散策しては、のんびりとカフェを楽しむ。人の住まう町が観光資源になるのだ。夢物語に語ったのはそんな町だった。しかし今、「おもろまち」は、経済優先、機能優先で、地域にないものをどん欲に求めてきた東京の街と同じで、即席につくられたハリボテの建物が乱立するだけの、美しさのかけらもない奇妙キテレツな町になってしまった。

もちろん調和性も文化性もなく、戦後の日本人が好んでつくってきた足し算型の町である。引き算型の町づくりを考えたなら、まず電柱と電線をなくし、看板をとっぱらい、無機質な人工物はできるだけ目に触れないようにして、木陰と水辺を残していただろう。県内のある財界人は、「おもろまちは一兆円の経済効果があった。普天間が返還されたらそれ以上になるだろう」と語ったが、瞬間風速の一兆円より、沖縄に必要なのは、二〇年後も三〇年後も利息を生み出す町づくりではないだろうか。沖縄にはモノレールよりも路面電車の方が似合う。かつて沖縄にも鉄道があったのをご存じだろうか。路面電車もあったが、住民に親しまれたのが通称「ケーヒン」と呼ばれた軽便鉄道だ。トロッコの兄貴分のような鉄道と思えばいい。これを復活できればすばらしい町並みになるだろう。

もっとも、走らせるのは昔の軽便鉄道ではない。八〇年代からヨーロッパで普及しはしめた近代的な超低床車両のLRTだ。いきなり路面電車では住民も戸惑うかもしれない。まず空港から国際通りを抜け、「おもろまち」を周回しながら、再び空港に戻っていく短い路線を敷設する。現在の国際通りなら、車の乗り入れを禁止しても商店の売上げに影響しないはずだ。とりあえず試験的に導入し、観光客や住民が路面電車を受け容れたら延伸すればいい。〇六年にJR富山港線が路面電車化した例をのぞけば、現在も路面電車は新設されていない。沖縄で、きわめて沖縄らしいLRTを走らせれば、それだけで話題になるはず
だ。