2015年12月8日火曜日

巡航ミサイル・トマホークの威力

軍事史上で一つの時代の終わりを明確に示しだのは、戦艦の退場であった。湾岸戦争では、アメリカに残る最後の門隻の戦艦のうち、ミズーリとウィスコンシンの二隻が参加した。射程距離三六キロの一六インチ砲が三〇〇発の弾丸を撃ち込んだと言われるが、それよりもテレビなどで宣伝されたのは、巡航ミサイルートマホークが開戦当日から、歴史上初めて二隻の戦艦から発射されたことであった。

この巡航ミサイルと航空機からレーダー発信源に撃ち込まれるミサイルとによって、イラクの対空レーダー基地の九五%は破壊されたと、パウエル統合参謀本部議長は、九三年一月二三日に発表した。一九九一年二月二七目、イラクは降服し、クウェートからの無条件撤退を要求した国連安保理事会の決議を受け入れた。ベトナム戦争とは違って、イラク車にはさはどの戦意は見られなかった。かりにあったとしても、砂漠地帯では身を隠すすべがなく、航空機と偵察衛星とによって軍事行動は丸見えで、ゲリラ戦のやりようもない。

一方アメリカは、戦費についてはサウジアラビアやドイツや日本などの協力があることを条件として、議会を説得しなければならなかった。日本の九〇億ドルを含めて、アメリカへの協力を約束した総額は約五四五億ドルに達し、全戦費はこれで賄われた。また湾岸戦争で、アメリカの国防産業が潤ったわけでもない。パトリオットーシステムを納人したレイセオンを除けば、兵器の受注で活況を呈した企業はほとんどなかった。

アメリカの国内経済にも新しい世界がひらけてきた。その第一はアメリカの金融関係の法律がしっかりと作り直されて、きびしく実行され、金融機関の信用が回復し、その経営力が立ち直ったことである。一九八〇年代のアメリカの金融機関の経営は、決して健全と言えるものではなかった。最近のアメリカの金融機関の強さからは想像できないような状態が続いていたのである。