2013年12月25日水曜日

バブルのメカニズム

連載は好調に進んでいたが、私は頃合いを見計らって手を引いたほうが賢明だと考えた。数式を使わずに書ける分はあらかた書き終えたし、大学の執行部を刺激するのはほどほどにしたほうがいい。九月始めに、「そろそろ終わりにしようか」と私が切り出したとき、斎藤氏は即座に「そう言おうと思っていたところだ」と応じた。かねて東京市場の暴落を予想していたこの人は、連載継続はリスキーだと考えていたのである。この後三か月、我々は編集長との約束を守るために連載を続け、開始から一年経ったところで株式評論家を廃業した。東京市場はこのあとも好調を続け、一九八九年の大納会に日経平均は最高の三万八九一五円を記録し、日本の大手N証券の経営者は、一年後には五万円という予想を立てた。

このため読者からは、何でやめたのかという問い合わせが殺到(?)したということだ。しかし一九九〇年一月以降株価は急落し、その一年後には日経平均は二万円を切った。かくして我々は、文部省の忠告のおかげで、バブル崩壊を逃げ切ったのである。このときの経験は、バブルについていろいろなことを考えるきっかけとなった。なぜバブルは起こるのか。バブル崩壊を未然に防ぐことは可能か。バブルに責任があったのは誰か。第一のなぜバブルが起こるのかという問題について、私は一九九二年から九四年にかけて発表した三編の論文で、一つの解答を導いた。「平均・分散モデル(およびそれを一般化した平均・リスクモデル)に従う合理的な々投資家が集まる市場において、貪欲な人が大量発生して『市場平均貪欲度』が大きくなると株価が急上昇し、それが『市場平均収益率』を超えると市場が崩壊する」という結果である。

たとえば、実体経済の成長率(市場平均収益率)が五%の状況を考えよう。一九八九年の株価急騰のように、一年の問にTOPIX(東証平均株価指数)が四〇%も上昇すれば、それは間違いなくバブルである。実体経済の一〇倍近い上昇が続けば、市場平均貪欲度は、いずれ市場平均収益率を超える。したがって、このような株価急上昇が起こったときは、その後に控える暴落を防ぐ方策-たとえば金利引き上げや金融引き締めを講じるべきだ。では、四〇%でなく三〇%、二五%ならどうか。恐らくそれもバブルだろうが、そうでないという人もいるだろう。このあたりは判断が割れるところだが、経済学者はバブルか否かを見分ける方法はないという。

しかしはっきりしていることは、株価総額が急激に増大しているときは、人々の貪欲度が急上昇している可能性が高いので、あまり欲張らずに、適当なところで手仕舞いするのが賢明だということである。多くの人がこのように判断すれば、バブルは崩壊せずに沈静化するはずである。アメリカの住宅バブルの際に、連邦準備制度理事会(FRB)は、そのまま放置して破綻したところで適当に対処するのがいいと考えていたようだ。しかしそれは無責任というものである。途中で潰して、強欲な人からクレームがつくのが怖いのだろうが、山高ければ谷深しだから、早めに潰したほうが損害は少なくて済むのである。

一九八〇年代末のバブルについて、かねて私はアメリカの(理不尽な)要求に応えて内需拡大をうたった「前川レポート」に原因があると考えてきた。これによって日本人は、(すでに十分豊かになっていたにもかかわらず)もっと豊かになろうとして貪欲になったのだ。保有する資産が少ない庶民が少々貪欲になっても、大した問題は起こらない。一方、資金を沢山持っている大富豪や機関投資家が貪欲になると、市場平均貪欲度が上昇してバブルが発生するのである。経済学者・林敏彦氏は、『マネーの経済学』(日本経済新聞社、二〇〇四年)の中で、「バブルの責任追及はやめよう。バブルは、人間が犯した間違いであることは確かだが、戦争よりはましだと思って諦めるしかない」と書いている。

2013年11月5日火曜日

突然の退位宣言、新憲法制定へ

国王の提案で、閣僚会議の議長すなわち政府首脳には、国会選挙で最高得票を得た大臣が任期一年で就任し、以後輪番制で得票数上位の大臣が就任することになった。大臣の任期は五年で、更新には国会の過半数の承認が必要とされる。七月二九日、一ヵ月の長きにおよんだ歴史的な第七六回国会は幕を閉じた。ティンプの熱い夏であった。これは、当時はその機は熟しておらず、時期尚早との見方が強かったが、立憲君主制の下での政党議会制民主主義への移行という長い道のりの出発点であった。そして、もはや後戻りはできず、一年半後の二〇〇一年には、立憲君主制の下での選挙に基づく二政党制議会、国王の六五歳退位を柱とする憲法の起草が開始された。

二〇〇三年に、一九九八年に初めて選出された大臣の五年の任期が切れ、かれらの業績が国会で審議され、全員の任期が更新された。加えて新たに四人の大臣が選出され、一〇大臣一〇省体制となった。この時点で、国王六五歳定年制、国会の四分の三、国民投票の過半数により国王解任といった非常に特色のある項目を含む新憲法の草案がほぼできあがり、全国民に配布された。国民の絶対多数は、こうした新憲法の必要性を認めず、王制の現状維持・継続を願った。それにたいして国王は、以前から繰り返し説いてきた世襲王制に内在する危険を改めて指摘し、王制の下ですべてが順調に運んでいる今こそ、ブータンの将来のいっそうの繁栄と安全のために新憲法、新体制へ移行することが必要であると反論した。

そして国民を説得するために、国王は各県に赴き、自ら新憲法を説明し、国民の質問に答えることにした。国王の決意は固く、初めての国政選挙の準備のために、選挙委員会が設置され、準備は着々と進められた。そして、二〇〇四年二一月一七日の建国記念日に、東ブータンのタシガン県に赴いた国王は、新憲法発布、新政府発足の暁に、皇太子に王位を譲位すると何の予告もなく表明した。この国王の声明をゾンカ語から東ブータンのシヤルチョプカ語に翻訳する役目を仰せつかっていた県知事は、そのあまりの唐突さ、内容の重大さに驚き、悲しみのあまり涙ぐんでしばしの間、通訳ができなかった。

ようやく国王の声明がシャルチョプカ語に翻訳されると、今度は出席していた聴衆は、翻訳間違いではないかと耳を疑った。県知事が、国王はまさしく譲位の意向を表明されたと繰り返しても、聴衆は信じることができなかった。新憲法に盛り込まれることになっている国王六五歳定年制すら削除を願っていた国民にとって、四九歳の国王が譲位を口にするなど、およそ信ずることができなかった。好ましくない事態を前にして、それを回避する対処策も尽き、もはや避けられそうになくなった時、「そのことを考えないようにすれば、ひょっとしてそのことは起こらなくなるかもしれない」と思うのが、ブータン人の田舎者気質の最後の対処策であり、楽観的知恵である。

それ故にブータン人は全員、国王譲位は先のこととして、真剣に受け止めようとしなかった。というよりは、それを現実のものとして受け止めたくなかった。第四代国王譲位は、即第五代国王即位であり、国王の交代にすぎないということが自明であっても、第四代国王なきブータンは考えることすらできなかった。それほど国民は、第四代国王の指導力に依存していたし、国王を慕っていた。いずれにせよ二〇〇五年末から、国王は自ら全国の各県を回り、国民の意見を聴き、疑問点を晴らし、新憲法により、立憲君主制の下での議会制民主主義で、国民が自らの運命を決定する主権者となる必要性を説明し始めた。併行して、立憲君主制の下での政党議会制民主主義体制に向けて、新憲法、選挙法、政党法などの法整備が進められた。

2013年8月28日水曜日

街づくりは引き算

惜しむらくは、沖縄戦でことごとく破壊されたために、現在の首里には「京より美しい」と言われた面影は、ごく一部にしか残されていない。たとえば一六世紀中頃、沖縄南部に通じる道路として琉球石灰岩を敷きつめた「首里金城町石畳道路」がそうだ。わずか三〇〇メートルほどだが、道の両側には古い石垣や赤瓦の家並みが続く。こんな美しい風景に電柱が立っているのは興ざめだが、それでも十分に見ごたえがある。かつて、こうした苔むす石畳の道が首里の町を縦横に走っていたことを想像しながら、私は「琉球国」にタイムスリップした気分を味わっていた。それなら、日本一美しいと言われるような町並みを、返還された土地につくればいいではないか。新しい町は時間の経過とともに利子をたくわえて島の財産になるはずだと考えたのは、おもろまちが返還されて数年後のことだった。

美しいと言われる都市には共通するものがある。それは水辺があることである。都市における「水辺の美学」とは、自然と人工の織りなす美しさである。私は地図でしか見たことがなかったが、幸いにして返還された土地には米軍も手をつけなかった沼地があり、渡り鳥の飛来地になっていた。確認したわけではないが、沖縄で最大級と言われていたそうである。これを利用しない手はない。さらに幹線道路を別にすれば、道路は狭くて曲がりくねっていてもいい。むしろ車のスピードを落とさせることで、人間との共存がはかられる。その分、路面電車やバスなどを充実させればいい。

町並みには色彩も大事だ。沖縄のアイデンティティを主張するには、ベンガラに似た赤瓦の紅がいい。そのうえで琉球石灰岩など自然素材を多用して沖縄の風土と一体化させる。観光客は「おもろまち」に泊まり、昼はこの美しい町並みや湖沼を散策しては、のんびりとカフェを楽しむ。人の住まう町が観光資源になるのだ。夢物語に語ったのはそんな町だった。しかし今、「おもろまち」は、経済優先、機能優先で、地域にないものをどん欲に求めてきた東京の街と同じで、即席につくられたハリボテの建物が乱立するだけの、美しさのかけらもない奇妙キテレツな町になってしまった。

もちろん調和性も文化性もなく、戦後の日本人が好んでつくってきた足し算型の町である。引き算型の町づくりを考えたなら、まず電柱と電線をなくし、看板をとっぱらい、無機質な人工物はできるだけ目に触れないようにして、木陰と水辺を残していただろう。県内のある財界人は、「おもろまちは一兆円の経済効果があった。普天間が返還されたらそれ以上になるだろう」と語ったが、瞬間風速の一兆円より、沖縄に必要なのは、二〇年後も三〇年後も利息を生み出す町づくりではないだろうか。沖縄にはモノレールよりも路面電車の方が似合う。かつて沖縄にも鉄道があったのをご存じだろうか。路面電車もあったが、住民に親しまれたのが通称「ケーヒン」と呼ばれた軽便鉄道だ。トロッコの兄貴分のような鉄道と思えばいい。これを復活できればすばらしい町並みになるだろう。

もっとも、走らせるのは昔の軽便鉄道ではない。八〇年代からヨーロッパで普及しはしめた近代的な超低床車両のLRTだ。いきなり路面電車では住民も戸惑うかもしれない。まず空港から国際通りを抜け、「おもろまち」を周回しながら、再び空港に戻っていく短い路線を敷設する。現在の国際通りなら、車の乗り入れを禁止しても商店の売上げに影響しないはずだ。とりあえず試験的に導入し、観光客や住民が路面電車を受け容れたら延伸すればいい。〇六年にJR富山港線が路面電車化した例をのぞけば、現在も路面電車は新設されていない。沖縄で、きわめて沖縄らしいLRTを走らせれば、それだけで話題になるはず
だ。

2013年7月4日木曜日

日本女性の就労率

現役世代の専業主婦の四割が働くだけで団塊世代の退職は補えるこれまで日本の経済界、企業社会は驚くほどの男社会で、女性の参加促進をまったく本気でやって来ていませんでした。ですがどんどん生産年齢人口の減っていくこの日本で、いつまで生産や経営は男だけが担うというスタイルを続けるつもりなのでしょう。そのことがどれだけ日本経済の足を引っ張っていることか(さらにいえば国際社会からの蔑視を招いていることか)、いつになったら気づくのでしょうか。まず単純に頭数の問題です。日本の女性は四五%しか有償労働をしていません。正社員だけではありません、ハケンでもパートでもとにかく一週間に一時間以上、お金をもらって働いた人をすべて合計しても、女性の二人に一人は満たないのです。つまり今の日本では、総人口の三割近い三五〇〇万人もの女性が、給料の出ない専業主婦や学生や家事手伝いをしています。その中には高齢者の方も多いわけですが、生産年齢人口の専業主婦だけを取り出しても二一〇〇万人もいらっしやいます。

ところで今退職年代に入りつつある団塊世代のうち、有償労働をしていたのは五〇〇万人余りです。ということは、生産年齢人口の専業主婦コーOO万人のうちの四割が、(正社員であればもちろんいいのですが臨時採用でもハケンでもパートでもいいので)とにかく一週間に一時間以上お金をもらって働いてくだされば、団塊世代の退職が雇用減・所得減という形で日本経済に与えるマイナスインパクトは、なかったことになってしまうのです。特に心配なのは団塊の世代が担ってきた分の内需の減退ですが、これだけの数の女性が新たに給料を得、その分我慢せずにモノやサービスを買ってくだされば、実はお釣りが来て内需を支えることが可能です。団塊世代のオジサマよりも、女性の方が買いたいものが多いですから。「オマエは俺の給料を無駄遣いするのか」と旦那に嫌みを言われながら我慢していた分を、「これは私か稼いだ分だから使っていいでしょ」と堂々と消費してくだされば、日本の内需は革命的に向上します。その分企業の売上は増え、女性の雇用は(もちろん若者の雇用も)さらに増やすことが可能でしょう。

私は、「外国人労働者導入は必然だ」と主張する議論を読むたびにいつも思うのです。あなたの目の前に、教育水準が高くて、就職経験が豊富で、能力も高い日本人女性がこれだけいるのに、どうして彼女らを使おうとせずに、先に外国人を連れてこいという発想になるのか。日本女性が働くだけで、家計所得が増えて、税収が増えて、年金も安定する。そもそも女の人が自分で稼いでお金を持っていただいた方が、モノも売れるのです。車だって洋服だって日経新聞だって、働く女性が増えれば今以上に売れることは確実です。ところがそれがわかった人の中にも、「女性を使う前に一度退職した高齢男性を再雇用しろ」とおっしやる方もいらっしやいましょう。ですが高齢男性では内需拡大効果は限定されてしまうのです。孫のためにくらいしかお金を使わずに、後は本当の老後に備えて貯蓄してしまうだけですから。

ところが最近はその孫も少ない。逆に女性であれば、何歳になっても収入さえあればおしゃれな服や高い化粧品を買ってくれるのです。高くて量が少なくておいしいものも買ってくれる。一度退職した高齢男性を再雇用するよりも、現役世代の女性を雇う方があなたの売上も上がるのです。しかもこれは、外国人労働者を導入するのと違って、全然追加的なコストがかからない話です。日本人の女の人は日本語をしゃべれるし、多くが高等教育を受けていますし、年金や医療福祉のシステムを今から新たに増強する必要もない。彼女らが働いて年金だの保険料だのをさらに多く払ってくれれば、なおのこといいわけです。元気に働く高齢の女性が増えれば医療福祉の支出も下がりますし、所得税収だって増えます。

しかも日本女性の就労率四五%は、世界的に見てもずいぷんと低い水準です。たとえばオランダでは七割くらいあると聞きますが、彼女らも昔からそうだったわけではありません。人口が高齢化していく中で、昔は三割くらいしかなかった女性就労比率がどんどん上がっていったのです。日本だってそうならないはずはない。専業主婦の全員が「私は働きたくない」つていうのであれば仕方ないのですけれども、四割くらいは「短時間でもよくて条件に合う仕事があれば、働いてもいい」つていう人がいるでしょう。その人たちが働きやすくするだけで結構。それだけで向こう一○年十五年ぐらいは、経済的にはまったく牛産年齢人口減少がなかったのと同じ状況を作り出せるのです。



女性の就労と経営参加を当たり前に

どうも格差是正と叫んでいる人の中には、金持ちではないけれどもこの最低限のラインから考えればまだはるかに恵まれた生活を送っている人も多数いる。そんな連中にまで税金を差し上げる必要はない。他方で、本当に最低限のライン以下に落ち込んでいる人もどんどん増えているのに、むしろ支援の手が届いていなかったりする。このような事態を何とかするには、「格差解消」という相対的な概念を追求するのではなく、「絶対的な貧困の解消」、つまりある絶対的な水準(それはその時代ごとに相対的に決めることになるのではありましょうが)の下に落ち込んでしまった貧窮者の救済をもっと明確に進めるべきなのです。

ただおかげさまで日本の国では、増えてはいるのでしょうが絶対的に貧困な人は絶対的な少数者でもある。そういう人だけを救うという政策は民主主義的には不人気になりがちです。皮肉にも絶対的貧困者の予備軍が、かえって自分よりドの本当の貧困層を締め上げる策に賛成する、というようなことが起きかねません。これに対しては、最底辺に落ち込む人を皆で助けることで「自分もいつ絶対的貧困に落ち込むかわからない」という恐怖から皆で解放されようじゃあないか、という意識を社会的に醸成するしかありません。

恐らく以上をお聞きいただいたご年配の方の中には、非常に腹を立てられた方もいらっしゃいましょう。「年寄りを金づるか何かと思っているのかもしれないが、なめるなよ。我々からさらに金を奪おうというのか。そんな口車に乗せられて金を手放してみろ、リアエではないが、あとで子供からどんな仕打ちに遭うかわかったものではない」と。「年金も高齢者福祉も本当に大丈夫なのかわからないのに、虎の子の財産まで奪おうというのか」とおっしゃりたい方もいらっしゃるでしょう。私は増税をしろとか福祉の水準を切り下げろとか言っているのではありません。いずれ相続に回るだけの財産の余裕がある方に、「一部を早めに子供に渡して節税してはいかがですか」と申しているだけです。やるやらないは任意ですし、いつまでもそういうことを勧めるわけにもいかないので、時限を切って実施してはどうかと提案しております。

さらに申し上げれば、「年金も高齢者福祉も本当に大丈夫なのかわからない」のはなぜでしょうか? 政府が税収の二倍ものお金を使うという状況が慢性化して、もう首が回らなくなっているからです。無駄な支出は削るにしても、今や政府の予算の多くが医療福祉関連予算です。税収を少しでも増やすことを考えなければ、安心の未来は開けません。福祉予算が切り下げられたり、高齢者まで増税の標的になったりするくらいであれば、(余裕のある方の場合ですけれども)まずは財産の一部を気持ちよく子供世代(お好きであれば孫世代でもいいです)に渡すことで経済を活性化し、それをもって財政を守り自己防衛の一助とすることをお考えになってはいかがでしょうか。

前のところでは、高齢富裕層の貯蓄を若者に移転するだけでも大きな違いがあるということを申し上げて参りました。ここではもう一つ、さらに容易に手を付けることができる、しかも効果も極めて大きい策を申し上げます。戦後日本の経済を押し上げたロケットの一段目が団塊世代、二段目が団塊ジュニアであるとすれば、我々はまだ点火していない三段目のロケットを残しています。それは専業主婦に代表される、有償労働をしていない女性です。その力は、経済活動・企業活動での「男女共同参画」を進めることで、極めて有効に活用することができます。

2013年3月30日土曜日

修整自在の乾板写真

何人かで記念写真を撮ったとき、一人でも目をつむった人がいると、本人だけでなく、いっしょに写った全員が浮かない気分になります。昔の写真屋さんは、木製の三脚の上に載った四角い暗箱カメラをのぞき、頭から黒い布をかぶってピントを合わせると、おもむろに丸いゴムの玉を握り、「ハイ、鳩が出ますよ」といってシャッターを切ったものでしたが、彼らはみな集合写真を撮るときに一人の目もつむらせない撮影技術を持っていました。

あの四角い黒い箱の写真機で使っていたのはフィルムではなく、乾板と呼ばれる感光乳剤をぬったガラスの板です。乾板は感度が低かったので、その特徴を利用して、集合写真を撮るときに二分の一秒とか一秒のスローシャッターを切ってやると、誰かがタイミング悪く瞬きをしたとしても、せいぜい数分の一秒のことですから、結果的に全員バッチリ目を開いている写真が撮れるのです。

もちろん、当時もフィルムはありましたが、ネガになったガラスの乾板はご芯を尖らせた工ンピツで修整を加えるのに便利だったのです。たとえば、顔のホクロはネガには白く写ります。ここをエンピツでチョンチョンと叩いて肌の色と同じにしてやれば、プリントではホクロは消えているというわけです。皺など一発でスベスベ肌になります。痩せている人はふっくらと、太った顔はほっそりと、目許も鼻筋も自由自在に修整できます。現在はパソコンを使ったデジタル加工が主流のようですが、この修整という作業は、いまでも街の写真館では大切な技術の一つです。まったくの別人にならない程度なら、お見合い写真にも役立ちます。

いまはフィルムの感度もよく、シャッタースピードも速いので、集合写真を撮ると、必ず一人や二人は目をつむっています。よほどシャッターを押すタイミングがよくなければ、全員がバッチリとはゆきません。結婚式場の専属カメラマンが記念の集合写真を大型カメラで撮ったあと、中型カメラで何枚もおさえているのは、高い写真代をいただく手前、一人でも目を閉じられたらアウトだからです。一対一で撮っていても、半眼や三白眼どころか、完全に目をつむった写真になってしまうこともあります。一度、瞬きをした瞬間にシャッターが合ってしまうと、同じことがつづくということも、ままあることです。そんなときは、レンズを替えたり場所を変えたりして再スタートするしかありません。

女優さんたちのように、写真に撮られ慣れている人たちは、いったん目線を下に向けてからパッと顔を上げてポーズをつくります。自分の顔がいちばんきれいに見える向きや角度、目線の高さなどをよく知っているからです。ですから、そんな機会があったときは、顔を上げた瞬間、瞬間にシャッターを切るようにしてあげましょう。ある大女優さんを撮ったときのこと、彼女がパッと決める顔が、どうもいまひとつです。彼女がパッと顔を上げポーズをつくる、撮る、目線と顔を下に落とす、この落とす直前の顔のほうがずっといいと思ったので、パッと顔を上げても撮らずにいると、そのまま目線を中空に浮かしています。