2014年7月5日土曜日

冷戦型思考との決別

何度か指摘してきたように、日本経済はさながら「モラルなき資本主義」といった様相を呈している。不良債権問題における経営者のモラルハザード、日銀によるCP引受け、あるいは相変わらすのバラマキ型公共事業政策の継続と約二九兆円にまで膨らんだ地方交付税特別会計の「隠れ借金」、いずれも本格的な景気回復がなければ、日本の経済システムの根幹を蝕んでゆきかねない。本源的生産要素市場におけるセーフティーネットの「解体」を放置していることが、こうした状況を作り出す原因となっている。

冷戦型の二分法的思考の枠組みから抜け出られずに、規制緩和と政府介入、あるいは「小さな政府」と「大きな政府」の間で、ただ振り子のように振れているだけでは、泥沼にはまってゆくだけだろう。本源的生産要素市場の安定性を取り戻すには、何よりも将来不安を取り除き。崩れつつある制度の信認を回復させることが優先されねばならない。

セーフティーネットの再構築を起点とする制度改革が成功するかどうかは、いかにして歴史的な公共的課題に対応して、人々の自己決定権を高めることができるか否かという点にかかっている。もちろん市場原理主義はこの条件を満たすことはできない。規制緩和や「小さな政府」を目指す政策を追求すればするほど、人々は自己決定の領域を失ってしまうからである。強調したように、〈協力の領域〉が組み込まれてはじめて〈競争の領域〉も安定的に機能する。言い換えるなら、人々が自己決定権を確保するには、社会的共同性に基づく制度やルールが不可欠であることを意味する。

つまり、セーフティーネットと連結する形で社会的に公正な制度やルールが存在して、はじめて人間は、それを目安に自分の人生設計=主体的選択をなしうる。そのためには、市場や社会の歴史的変化に応じて、絶えず自己決定権を高めるために社会的共同性に基づいてセーフティーネットを張り替え、それに連動して制度やルールを変更してゆかねばならない。

もちろん、こうした考え方は明確に中央計画型社会主義も拒絶する。理由は簡単だ。それが、権力の肥大化によって人々の自己決定権を抑圧する体系だからである。つまり、セーフティーネットに連結する制度改革という知的戦略は、完全競争状態をユートピアとする市場原理主義でもなく、市場の廃絶をユートピアとする中央計画型社会主義でもない。