2014年5月2日金曜日

しばしば無口になる

「私」は「自分」を直接には知らない、と書いている。だが読者は、「自分」とは「私」なり、つまり、手記の主人公「自分」は、「私」すなわち太宰治だと承知でこの小説を読む。太宰はもちろん、それを百も承知で、直接には知らない狂人の手記のかたちにしている。大岡昇平さん(大岡さんには生前誓咳に接しているので、さんづけで書く。)も同工の作法で「野火」という「私」が主人公の作品を書いている。この手記を書いたのは、東京郊外の精神病院に入院している患者というかたちにしている。この「私」は、、いわゆる狂人ではない、軽度の記憶喪失者である。

「私」は、兵上としてフィリピンの山中を放浪していて、ある時期記憶を失う。記憶を取り戻したときには、米軍の野戦病院に収容されていた。その後「私」は帰国して精神病院に入院して、医師に薦められて手記を書く。「私」は、山中放浪から米軍に収容されるいっときの喪失期間以前と以後については記憶を喪失していない。だから、作中の医師の言うように、「小説みたい」な手記が、みごとに書けるわけだが、それにしても、太宰治にしろ、大岡さんにしろ、「私」が主人公の小説を書くのに、なぜ、狂人だの、記憶喪失患者だのを登場させてひねってみせなければならなかったのだろうか。

「私」が主人公の小説と言っても、もちろん小説中の「私」は、そのまま作者そのものではない。私は、ひねったりはいたしません、一途に、ありのままに、正直に自分を語ってみようと思います、そういう気持姿勢で書いた私小説の「私」も、それがそのまま作者であるということは、ありえない。けれども作者には、できるだけ、ひねりや作意を押えようと試みる者あり、一ひねりも二ひねりもした表現をしようとする者あり、である。

太宰治や大岡昇平さんのひねりは、そうすることの内底には、作者の自身のテレとの格闘もあったのではないか、と私は想像する。 大岡昇平さんも、恥の意識過剰の人だが、太宰治ぐらい、それを言葉にも出し、ヒイヒイと愚痴っぽく、派手に書いた作家はいない。それをろくに□に出さず、しかし、過剰に意識している人もいるだろう。助平は、しばしば無口になりがちである。

うっかり□にすると、その言葉だけで興奮してしまう自分を知っていて、それがこわいので、せめて寡黙に自分を閉じ込めてバランスを取るのである。その逆の方法もある。助平は、やらだ毒舌に、助平な言葉を口にし、助平なことを思い続ければ、不感症になる。そのようにして助平から解放される。恥に関して、太宰治は、後者の方法で、逃げ出そうとしたのである。